城主の居館は当初、天守台の下にある本丸にあって「備前丸」といった。これは池田輝政の所領備前国にちなむ名である。しかし、備前丸も山上で使いづらいため、本多忠政は三の丸に本城と称する館を建てて住んだ。以降の城主は本城、あるいは中曲輪の市の橋門内の西屋敷に居住している。徳川吉宗の時代の城主・榊原政岑が吉原から高尾太夫を落籍し住まわせたのもこの西屋敷である。西屋敷跡およびその一帯は現在では姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」として整備されている。
なお、現在の三の丸跡のうち本城跡には千姫ぼたん園、向屋敷跡には三の丸広場が開かれている。三の丸広場は市民の憩いの場となっており、各種のイベントスペースとしても使用される。
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中曲輪・外曲輪
中曲輪には侍屋敷、外曲輪には下級武士や町人の居住区などが置かれた。姫路市中心部に現在も残る町名として、鍛冶町・白銀町・金屋町・材木町・紺屋町などの職人の町、呉服町・綿町・米屋町・塩町・魚町・博労町などの商人の町、小姓町・鷹匠町・同心町・坊主町など身分に因む町名、上寺町・下寺町などの寺社の町がある。これらの多くが城郭の内にあり、江戸時代には日本では珍しい城郭都市を構成していた。このような「総構え」は他に江戸城や小田原城などにおける例がある。今日では中曲輪・外曲輪は堀と石垣の一部が残っているほか、国道372号に竹の門交差点、野里街道沿いに野里門郵便局といった形で門の名前が残っている。外曲輪の南側は山陽本線姫路駅付近にまで達している。1888年(明治21年)に外曲輪の外堀南側に姫路駅が作られ、そこを通る形で山陽鉄道(山陽本線の前身)が敷設された。
姫路市本町68番地 [編集]
姫路城所在地の姫路市本町68番地は、周囲の警察署・高校・病院・美術館さらには県営住宅や民家をも含む総面積107.73ヘクタールの面積を持ち、単独の番地としては(皇居のある)千代田区千代田1番地の約150ヘクタールに次ぐ広さといわれる。本町68番地は内曲輪および中曲輪の範囲に相当し、明治・大正時代には陸軍歩兵第十連隊が配置されていた。姫路大空襲でこの一体は焼け野原になり、中心市街地として開発された戦後になっても、番地は分割されずにそのまま残った[34]。分割されなかったのは戦後の混乱に起因するという[35]。1980年代以降この一帯の整備および再開発事業が行なわれ、様々な文化施設・観光名所が立ち並ぶ一帯となっている。